伝統を崇敬、されど技術は事新しく、発展を惜しまぬ『会津漆器』

ついに日本4大漆器、最後の流派の紹介になりました。和歌山県、石川県、福井県様々な地域を漆器と共に見てまいりましたが、次に私たちが訪れる漆器の産地は、福島県です!そして今回ご紹介する漆器の名前は「会津漆器(あいづしっき)」です!

会津と聞いて思い浮かべるのは、観光名所でもある会津若松市ですよね!会津若松市のシンボルでもある、国指定史跡・若松城跡の鶴ヶ城天守閣は戊辰戦争で1ヶ月にも及ぶ攻防に耐えきった名城であることから、お城好きの方には必見のスポットですよね!

さて、そんなたくさんの魅力がある会津の地に発祥した「会津漆器」ですが、1590年の安土桃山時代に豊臣秀吉の命を受け、武将蒲生氏郷(がもう うじさと)公が奨励したことから産業として本格的に発展をし始めます。

以降、保科正之(ほしな まさゆき)などの歴代会津藩主が技術革新や産業の振興に尽力したことで、江戸時代には中国・オランダなどに輸出され、ますます活気づいております。

しかし、のちの戊辰戦争により会津は大打撃を受け、同時に会津漆器も壊滅的な被害を受けることになりました。戊辰戦争で甚大な被害を受けた会津は、自分たちが築きあげてきた会津漆器と共に復興していく決意を固め、新しい一歩を踏み出すことにしました。

その甲斐あって、明治時代の中期になるころには以前よりはるかに隆盛し、日本有数の漆器の産地として邁進するようになりました。400年守り続けた伝統の技と兼ねて、常に最新技術を取り入れることで、今日では日本4大漆器に数えられるまでになったのです。

会津漆器は愛のある会津の職人と共に生きたからこそ、人間と同じく、挫折から立ち上がることができましたし、その経験による恩恵でさらにすばらしい漆器へと進化していったのですね。

そんな会津漆器の特徴ですが、先ほども申しました通り、常にその時代の最新の技術を取り入れていたことから、多彩な技法を保有していることが会津漆器の最大の特徴であると考えます。

松竹梅に破魔矢・糸車を施した伝統的な絵柄である「会津塗」をはじめ、上塗り後の研磨をあえて行わないことから、より堅牢な漆器へと導く「花塗」黒漆で塗りを施した器に均一になるよう模様を描き、その上から朱色の粉を振り分け完全に乾く前に磨き上げる「朱磨」など様々な技法で私たちを楽しませてくれますね。

そして、漆職人にはつきものである後継者問題に真剣に取り組んでいる姿も垣間見ることができます。会津漆器には「会津漆器技術後継者訓練学校」というものがあります。募集は毎年4名ほどで、「蒔絵専攻」と「塗専攻」が交互で募集されます。

定員は非常にわずかですが、その分現役漆職人であるプロからしっかり教わることができる上、さまざまな支援体制により、現在活躍している会津漆器の中堅職人はほとんどこの「会津漆技術後継者訓練学校」を経ているほど重要な役割を担っています。

職人になるというのは、私たちが想像している以上にはるかに大変で障害の大きい道ですが、このような支援体制ができることで、少しでも未来の職人さんの道が明るく照らされると良いですね。

さて、短いように感じますが、これで会津漆器のご紹介も終わりでございます。今まで日本4大漆器についてさまざまなお話をしてまいりましたが、いかがでしょうか?お気に入りの漆の流派は見つけられたでしょうか?

お気に入りの漆器を見つけて地元で購入するもよし、実際に発祥の地に訪れる楽しみにしてもよし。その時に、この日本4大漆器の記事を参考にしていただけたのならば、幸いです!以上、日本4大漆器編でした。