遡ること1500年。皇子の御眼鏡に適う明媚の器『越前漆器』

日本4大漆器編もいよいよ3つ目になってまいりました、タイトルにある「1500年」や「皇子」というワードが気になるところですが、先に今回ご紹介させていただきたい日本4大漆器の名前をお伝えします・・・それは「越前漆器」でございます。

越前漆器の起源は、約1500年前の古墳時代にまで遡るといわれております。第26代天皇である、継体天皇がまだ皇子であったころに、片山集落(現在の福井県鯖江市です)の塗師に壊れた冠の修理をさせたことから始まりました。

片山集落の塗師が冠を、漆を用いて修理するだけでなく、同じく漆で加飾した椀を献上したのですが、その出来栄えに皇子がとても感銘を受け、片山集落で今後も漆産業を続けるよう勧めたことで、今日の「越前漆器」に至ります。

なので、タイトルの「1500年」や「皇子」というのは、越前漆器の始まりである歴史から来ているのでした。継体天皇は古事記によると没年齢40歳と記されており、現在で換算すると80歳の長寿であったと言われています。もしかして、美しいものを愛でると寿命が延びるのでしょうか。

越前漆器と言えば「片山椀(かたやまわん)」が有名です。明治時代までは、この「片山椀」のみしか漆器の製造をしなかったほど、越前漆器を語る上で重要な漆器となります。とは言っても、以前は「片山椀=越前漆器」というイメージであったことから、椀に特徴があるというよりは、あくまで代表的な意味合いに思えます。

この「片山椀」、実は明治時代を境に転機を迎えることになります。というのも明治時代に初めて、それまでは片山椀のような丸物(まるもの)の漆器しか作っていなかったのですが、これを境に重箱、手箱、菓子箱のような角物(かどもの)の漆器も作るようになったのです。

今まで変えてこなかった信念を曲げることは、漆職人だけでなく私たちにさえ、どれだけ大変なことであるかは想像できますよね。それでもこの先へ進むべく、越前漆器は変化を受け入れたのです!

以後、生産地も片山地区からさらに広がり河和田地区にまでおよび、特に河和田地区で作られる漆器のことを「河和田塗り(かわだぬり)」と呼ぶようになりました。今では「河田塗り=越前漆器」のように時代は移り変わっております。

現代の越前漆器は、鯖江市にある「うるしの里会館」で御覧に入れることができます。日本4大漆器を紹介するにあたって、もし興味を持っていただけたのならば訪れてほしいという意味で各流派の会館を紹介していますが、おそらく越前漆器を紹介している「うるしの里会館」が最も充実した内容をしている会館であると思われます。

展示見学、ミュージアムショップなどの一般的な施設展開に加え、越前漆器の伝統工芸士の仕事が間近で見られる「職人工房」が展開されています。ここでは漆器を作る工程である、木地制作・塗り・加飾の一連の流れを見ることができます!

これは消費者目線だけでなく、将来職人を目指す方にとって、刺激になること間違いなしです!また、ワークショップとして蒔絵体験・沈金体験・拭き漆体験ができます!漆器の制作体験では、蒔絵がほとんどですが、「うるしの里会館」では珍しい沈金体験や、拭き漆まで体験できるのは、とても魅力的ですね!

以上、越前漆器の紹介でした。私は鯖江市に行ったことがないのですが、うるしの里会館に行って、お祭りに際に用いられる「地域の宝」とまでいわれた「越前塗山車」は一度見てみたいと思っております!

さて、これで3つの漆器の紹介が終わりました。次はいよいよ日本4大漆器最後の流派のご紹介になります、日本4大漆器の締めくくりとまいりましょう!